活動報告一覧 2024.1–2024.12

1/13 新年会 ダイニングキッチンいわさき 参加20名

1/14 全国ガンカモハクチョウ類一斉調査(只見湖・滝胡) 参加1名

2/20 学ぶ会通信vol.18 発送 参加5名

5/12 集落めぐり1―二軒在家 参加7名

6/28 総会 終了後懇親会 参加17名

8/24 暑気払いBBQ 参加16名

11/9 集落巡り2―十島・塩沢 参加15名

〈花暦調査2024年 要害山〉

第1回 5/14 参加4名
第2回 6/11 参加3名
第3回 7/21 参加3名
第4回 8/9 参加5名
第5回 9/14 参加3名
第6回 10/12 参加4名
第7回 11/5 参加3名

*花暦調査の報告は「発行物 学ぶ会通信」からPDFを開いてご覧ください。

〈発行物〉

学ぶ会通信 vol.19 A4判16ページ 2024年7月6日発行

昔ばなしを語る会員のエツコさん2024年1月13日

学ぶ会新年会

ダイニングキッチンいわさき 参加20名

2024年初顔合わせの新年会が、ダイニングキッチンいわさきで開催されました。
総勢20人が集まっての酒盛り。日本酒がけっこう出てたども、予算間に合ったかな? 只見のむかし話を聞いたり、いろいろな意見を自由に述べたりと、にぎやかでした。
「こだわりをもって社会を変える」という気構えで、今年もよろしくお願いします。(新国 勇)
写真中央奥は、昔ばなしを語る会員のエツコさん(只見町昔ばなしの会代表)

2024年1月14日

全国ガンカモハクチョウ類一斉調査

毎年1月15日は、全国ガンカモハクチョウ類一斉調査の日。環境庁のもと福島県自然保護課が担当していましたが、今年度は依頼なし。事業がなくなったのではなく、只見は外されたのかなと想像しています。もう何十年もやってきたので、1人でカウントしてきました。
滝湖のカウント結果
コハクチョウ7、マガモ48、ヒドリガモ3、コガモ7、キンクロハジロ179、ホシハジロ191、カワアイサ6、オオバン14、カンムリカイツブリ1、カイツブリ1 計10種457羽
只見湖のカウント結果
カルガモ87、マガモ126、コガモ172、オナガガモ1、ヒドリガモ8、キンクロハジロ32、ホシハジロ86、カワアイサ4、オオバン128、カワウ5、アオサギ2 計11種645羽
青空と湖がきれいでした。 (新国 勇)

2024年5月12日

集落めぐりⅠ―二軒在家

9:30 〜14:30 参加7名

今回が初めてとなる「集落めぐり」。コンセプトは、「集落をゆっくり徒歩でめぐって、興味のおもむくままになんでも見てやろう」といったところでしょうか。
車で通過するだけでは、その集落のことはなにも見えてこない…、自転車が趣味のわたしですが、まだ寒くて自転車ではどうもなあという2月、3月に南郷地域の集落を中心に歩き回って改めて感じたことです。それが一人でなく何人かの目で見たらおもしろいのではないか、なによりもっと只見町のことを知りたい、というのが発案の理由です。最初の集落をどこにするか相談した結果、歴史と見どころのありそうな二軒在家(にけんざいけ)となりました。
中の橋のたもとに集まったのは7人。二軒在家字九々生(くぐりゅう)の集落に向かって県道をそれ脇道を歩き始めます。道端には、ヒロハコンロンソウ、イカリソウ、オドリコソウ、ニリンソウの花が次々と現れます。九々生の集落に入り若宮八幡神社への細道を登っていくと、鳥居とその奥に神社が現れ、なにより社の前にすらりと立つケヤキの大木に圧倒されます。勇さんが胸高直径を測ったら402cmもありました。清潔に手入れされた神社の敷地にもホウチャクソウ、ラショウモンカズラなど春の花が群れをなしています。
イカリソウ若宮八幡神社の大ケヤキ
九々生のお二人から情報収集勇さんが当日配ってくれた資料には、「九々生の由来(飯塚恒夫さんによる)」とあり、この地に二つの沼(男沼・女沼)があり九つの頭を持った竜が現れ黒雲を巻き天に昇っていったことから、九頭竜、いつしか九々生と書かれるようになったのだとか。
集落上手の元糀屋の星さん宅前で野良着姿のお二人に会い、ここを山際に行くと沼があると教えていただきました。神社東方にあるから女沼だろうか、小さく浅い沼でしたが確かにありました。
これで九々生の探索は終わり、二軒在家公民館の広場で早めの昼食としました。

山内さん宅の屋敷稲荷本村へ向かいます。集落に入って県道の山側、山内さん宅の稲荷様を拝見します。建て替えられた真っ赤な鳥居と小さな祠、きれいに庭木が配置されています。なんでも稲荷に小さな石をお供えすると夜泣きが治り、その石を旅行に持っていくとお守りになると言い伝えられているとか。山内さん宅でお茶に呼ばれて聞いた話です。小一時間ほどもおじゃまして、おしゃべり好きなおばあちゃんから昔のことなどを聞き出しました。
山内さんから聞いた話では、この集落の人は熊野神社の信仰のため昔からクマの肉は食べなかったそうです。
不動明王の石仏熊野神社その熊野神社へ向かいます。50段ほどの石段を登っていくと広い敷地に熊野神社が建っています。ここもきれいに草刈りがされ、明るく気持ちのいい空間です。入口横には割れた石板があり右手に剣、左手に索(縄)を持つ不動明王が刻まれています。享保十七年(1732)と刻字されているようです。素朴な石仏ですが、迫力のあるお顔です。

愛宕神社ここからさらに急な山道を一段登ると火伏の神、愛宕神社があります。県道からも見える崖上に建つだけあって風が通り、見晴らしがいい。伊南川沿いの集落がよく望め、勇さんによればかつての狼煙場(のろしば)だったそうです。来た道を戻ると、この参道はコシノコバイモの群生地だということがわかり、みなさん写真を撮るのに忙しそうです(花はおわり実になっていた)。
塩ノ岐との境まで歩き今日の行程はほぼ終わりです。最後に伊南川側の小道を戻りつつ、山内さんに場所を聞いた川除地蔵へ向かいます。行きには見つけられなかった地蔵は、県道脇の田の畔にありました。どうも新しく建て替えられたもののようです。あらかじめ本村に置かせてもらった車に乗り込み、スタート地点に戻りました。
二軒在家は、山が近くてケヤキの木が多く、野草の種類も数も多い静かな集落でした。神社もよく手入れされ、信仰心の厚さを窺わせました。家々も立派なものが多く、豊かな村との印象を受けました。(熊倉 彰)

二軒在家MAP写真は左上から:若宮八幡神社の大ケヤキ、道端に咲くイカリソウ、九々生集落のお二人から情報収集中、山内さん宅の屋敷稲荷、熊野神社、不動明王の石仏、愛宕神社


 

神社近くの水田にいるタニシタニシの言い伝え

『新編会津風土記』に書かれていることによれば、この集落の若宮八幡神社には、つぎのようなご利益があるという。 一つ目は、旱魃(かんばつ)となり雨を降らせたいときには、この境内に集まって獅子踊りを奉納すれば効果がある。二つ目は、熱病にかかったとき、男沼、女沼にいる殻に小さな穴のあいたタニシを採って枕の上において、「治ったらタニシの数を倍にして返します」と言って拝めば、効果があると記されている。また、理由もなくここからタニシを採れば、夜中にあやしい声で「タニシを返せ」と言われるという。 いまも神社入口にある水田跡には大きなタニシがたくさんいた。坂田の飯塚恒夫さんは、「ここのタニシは、沼の主なので、集落の人はタニシを食うことはしなかった」という。村に住むある人が、「それは迷信だ」といってタニシを食ったところ、すぐケガをしたことがあったと話した。200年以上たって村に残っているのは、若宮八幡神社とタニシだけ?  新国勇

 

2024年6月28日

学ぶ会定期総会報告

只見公民館 参加17名

第24回只見の自然に学ぶ会定期総会が只見公民館で開催されました。提案された報告と計画はすべて了承されました。今年度企画されたおもなものは次のとおりです。
①次の「集落めぐり」は、晩秋に開催する。
②小林の山内素子ばあちゃんから「戦時体験とむかしのくらし」の話を聞く。
③太田祥作さんから「只見の大切なトンボと野鳥」の話を聞く。
④「春の花とユビソヤナギ観察会」を復活します。
⑤「春のバードウォッチング」を復活します。
終了後、みな川旅館に移動して、一晩、飲み明かしました。1人ふえて18人となりました。やっぱり、これがいちばん? (新国 勇)

 

BBQ会場2024年8月24日

暑気払いBBQ

奥会津ただみの森キャンプ場 参加16名

16時から奥会津ただみの森キャンプ場で暑気払いBBQを行いました。参加者16名と多数ご参加いただき、ありがとうございました。
この日も暑い一日で、暑気払いにはもってこいの日暮れ。一番の懸念だった火起こしは焚火マスターが何人もいたので速やかでしたが、いささか火が大きくなりすぎましたね。今年の最大ポイントは生ビール! 乾杯する前からどんどんついで飲み初めました。肉焼きが始まる頃にはほろ酔いです。マトンだけでなく、ハツ、牛タン、鶏軟骨なども用意してみました。野菜は今年もふる里からの差し入れがあり、感謝いたします。
2頭のワンコも加わり、自己紹介も聞こえないほどの盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。参加された皆さまありがとうございました。参加できなかった皆さまは、来年ぜひご参加ください! (遠藤菜緒子)

 

十島集落入口の石碑群2024年11月9日

集落めぐりⅡ―十島・塩沢

参加15名

2回目となる集落巡りは、十島と塩沢になりました。そこそこ冷え込んだ朝9時、塩沢の国道脇の河井継之助記念館駐車場に6組のご夫婦を含む15人が集まりました。
車で十島橋を渡り十島集落を時計回りに一周します。車を停めたところには石碑が7基立っています(6基が並び、ひとつが後ろ側に)。一番右の巳待塔、左に二つ並ぶ庚申塔が目をひくでしょうか。背後に只見川と塩沢の集落、山々が望める抜群のロケーションです。
見せていただいた「字一筆限地図帳」の表装川下へ進み墓地を見てから、集落突き当たりの菅家芳雄さん宅で芳雄さんに出てきていただき、お話を伺いました。
かつて江戸期には大塩組に属し、現在の金山町との往来が多かったこと、只見川右岸に左越(さごえ)という山越えの道があって金山町田沢につながっていたこと、滝ダムの建設により他の村に比べても多くの耕地・宅地を失い、現在は人が住む家は5軒と激減してしまったことなどを話していただきました。そして出てきたのが、大正15年に作成された十島村の全9図、佐藤長三郎信義筆による詳細かつ達筆な地図帳。佐藤長三郎という村人は経師屋などの職人で絵師でもあったらしい。この地図をつくったのは、表紙に名前があるとおり芳雄さんの祖父、芳吉さん。大正15年の作。
観音堂近くにある祠芳雄さんに同道していただき、坂をひと登りして観音堂へ。中は覗けませんが、かたわらの祠には小さく素朴な仏像が3体まつってあります。かつての左越の道は、観音堂の下の畑の中に続いていたと芳雄さんの弁。左に貯水池の道を分け、鬼渡神社へはすぐです。黄色く色づいたイチョウの木のまわりには大量の銀杏が落ち、鳥居の両脇のイチイには赤い実がびっしりとついています。甘いよと言われたその実を初めて食べました。
朝のうちの雲がすっかり切れ快晴の秋空です。高台から見渡す浅草岳、蒲生岳、只見川の流れが見事です。
塩竈神社車に戻り、時間が押しているので車で塩沢の塩竈神社へ向かいます。かつてこの近くに塩井があり、塩を産出していたといいます。その製塩図を見に継之助記念館に車を停め山塩記念館を見学しました。そして歩いて医王寺へ向かいます。
伝説の弘法清水と思われる清水に立ち寄り、継之助の墓を訪れました。昼食の予約が13時だったのでまだ1時間近くあります。そこで只見線の会津塩沢駅へ向かいました。
会津塩沢駅舎のウォールペイントのどかな会津塩沢駅へ向かう
国道より一段高い生活道はおだやかな晴天も相まってのどかそのもので、秋空が広く高い。会津塩沢駅の駅舎に最近描かれた壁画の前で記念撮影ののち、継之助記念館そばの「山一」でカレーとコーヒーの昼食をいただきました。1時間ほどをゆっくりと過ごし、今日の集落巡りを終わりとしました。(熊倉 彰)

十島・塩沢MAP写真は左上から:十島集落入口の石碑群、見せていただいた「字一筆限地図帳」の表装、観音堂近くにある祠、塩竈神社、のどかな会津塩沢駅へ向かう、会津塩沢駅舎のウォールペイント


十島観音堂

十島観音堂前で説明される芳雄さん十島の菅家芳雄さんに村内を案内していただき、十島観音堂の前でいろいろな話を聞きました。
お堂のまえに、安永7年の石祠があります。菅家さんはわからないといっていましたが、となりの寄岩集落の稲荷さまの下におなじ石祠があります。そこは観音さまとして祭られていました。塩沢の石祠も観音さまとしたら、観音堂とおなじ場所にあることになります。観音堂があとから建てられたものか、はたまたこの石祠が別の場所から移されたものかは、いまとなってはわかりません。
30年前の調査記録によれば、お祭り日は旧8月17日。十島と塩沢の共同でまつられたお堂で、祭日になると女・子どもがあつまって安産とすこやかな子育てを願って祭礼をしたということです。観音講は、旧暦1月17日でした。これは宿を持ち回りとし、観音さまの掛け軸をかけて、参加者みんなで拝礼したあと、祝ったことでしょう。いまはむかしの話。 (新国勇)

弘法さまのおさずけ清水

これがおさづけ清水?医王寺の背後をはしる町道わきにある清水は、流量は多くありませんが、勢いよく流れ出しています。この清水こそ、健康・長寿の清水といわれてきた「弘法さまのおさづけ清水」ではないかと思われます。
確認するため、近くの民家の方に聞くと、「知らない」といわれました。いやいや、30年前に行った集落アンケートを書いてもらった古老たちはみんな挙げているものです。伝承は途絶えていました。弘法大師が錫杖をついて塩井をさずけたことにより名がついた「塩沢」。そのゆかりの場所が忘れ去られている? なんとも残念。
ここは河井継之助の墓に近い場所でもあるので、塩沢の名所として、再興できないものかと思った次第。 (新国勇)